地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、豊橋・田原の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

豊橋・田原の地域情報サイト「まいぷれ」豊橋・田原

東愛知新聞

東愛知新聞12月23日 本日の新聞紹介

12月23日収穫分

新着ニュース(12月23日付)

フクシマルポ(7・完) 帰りたいが生きているうちは…

災厄の根源・原発に近づく 間もなく5年、風化も課題

森林や送電線の後方に立ち並ぶ、福島第一原発の煙突<br>=福島県大熊町で(6月撮影)
森林や送電線の後方に立ち並ぶ、福島第一原発の煙突
=福島県大熊町で(6月撮影)
 双葉町の市街地を後にし、車はどんどん南下する。大熊町に入ると、災厄の根源・福島第一原子力発電所を肉眼で確認することができた。
(由本裕貴)

 町境を示す大熊町の青い標識を過ぎると、左手の太平洋側の視界が開けた。田園地帯の後方に森林が広がり、巨大な送電線が立ち並ぶ。さらにその後方に、先端が水色の白い煙突が3本立っている。福島第一原発だ。左端の煙突と、赤と白の大型クレーンの間に、解体作業が進められている1号機がある。
 国道6号・陸前浜街道は、ほとんど除染作業用のトラックしか見られない。放射線の濃度が高いため、誰もがスピードを上げて走る。そんな中、点滅信号となった交差点のそばで止めてもらい、車を降りた。侵入禁止の鉄柵越しに、原発方向へカメラを向けた。
 「ピー、ピー、ピー」。シャッターを切っている際も、車の中から携帯線量計の警告音が聞こえてくる。その音が突然大きくなり、振り返ると、運転席の一条昌一さんが窓を開けて声を上げた。「もう、そのあたりにしておきましょう。あなたの体が心配です」。
 原発からわずか約2.4キロの距離。その交差点の名前は「長者原」だった。原子力が生み出すものは「富」であると信じていた人にとっては、何とも皮肉だ。
 今回、一条さん夫妻の一時帰宅に同行し、復興にはまだまだ長い時間がかかることを痛感した。70歳に近い一条さん夫妻は浪江町の自宅に帰る日を信じ、郡山市内に住んでいたが、避難解除の目途さえつかない現実を見詰め、宮城県亘理町で余生を過ごすことを決めた。「もちろん帰りたいですが、私らの生きているうちは無理でしょうからね」。
 前回紹介した、双葉町の原発の明るい未来を示す標語の書かれた看板。事故の教訓を伝えるために保存を訴える声もあったが、21日から撤去工事が始まった。間もなく震災から5年。被災者が古里から離れていく中で、いかにして悲劇を忘れず、語り継ぐかが課題となる。
(おわり)

五輪サーフィン「田原が最適」 会場誘致に山下市長と大村知事ら
   国など4機関へ陳情書を提出

技能五輪全国大会を再び愛知で 19年度開催地に内定
   愛知県での開催は1991年、2014年に続き3回目

返戻見込み1万3000通 マイナンバー通知カード・豊橋市
   豊橋で外国人に制度や受け取り方周知する説明会

下校時に警報発令、津波避難
   田原伊良湖岬小学校で統合後初の実践的訓練

ATMで慌てる女性に声掛け 還付金詐欺を未然に防ぐ
   豊橋署が下地郵便局へ感謝状贈る

認知症カフェでクリスマス 豊川のデェイサービス「みその」
   きよしこの夜など演奏 じぃじーバンドTOKI出演

「目標は世界チャンプ」 ボクシング日本スーパーフェザー級王座
   尾川堅一選手が佐原豊橋市長を表敬訪問

ゆず足湯で全身ぽかぽか
   風邪よけや血行促進・冬至に蒲郡の松風園

PICK UP 豊橋・田原のお店 ~グルメ~

  • 熊本ラーメン大門

    熊本ラーメン大門

    あきる野市秋川3-5-1

    [ ラーメン店 ]
    全国を縦断する九州屋台 熊本ラーメン大門 あきる野市に上陸!

  • 炉ばた かぶと南栄店

    炉ばた かぶと南栄店

    豊橋市南栄町空池59-9

    [ 居酒屋・海鮮 ]
    伊良湖岬直送の魚介類は鮮度抜群、おいしいお酒も!

  • レストラン アンジュガーデン

    レストラン アンジュガーデン

    豊橋市牟呂町扇田73

    [ 結婚式場、レストラン ]
    【お子様連れも大歓迎】結婚式で人気のお料理を

  • きく宗

    きく宗

    豊橋市新本町40

    [ 和食(菜めし田楽) ]
    江戸・文政年間創業。菜めし田楽ひと筋に200年の変わらぬ味

  • カク一 (カクイチ)

    カク一 (カクイチ)

    豊橋市駅前大通3-118

    [ 居酒屋・和食・割烹 ]
    地元の魚介類を中心とした、新鮮でおいしい料理♪

  • 大木屋鮨

    大木屋鮨

    豊橋市新本町45

    [ 握り寿司 ]
    明治40年に創業。地元の魚を握り続けた伝統の鮨店